Remember me

映画を見たり写真を撮ったりするAジェンダーの生存証拠

101年経って彼と出会った話

 

一昨日の夜。

おふとんに入って毛布にくるまって、

眠りにつくのって日常の中で一番死に近づく行為だなぁと考えていた。うとうとしながら。

 

半分寝ぼけながら"Death or Sleep"ってググった。

同じ思考している人いないかなぁと思って。

 

そしたら1枚の絵画が出てきた。

 

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『Sleep and his Half - brother Death』

描いたのはイギリスの画家、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス。

彼が25歳の時に描かれた作品で、王立芸術院の展覧会に初出展し、高い評価を得た。そのため、1917年に68歳で亡くなるまで毎年同会に出展することになったらしい。

 

彼がこの絵を描いたのは、2人の弟を結核で亡くした後だそうだ。

作品の詳細は引用する。

 

この作品の題材は、ギリシャ神話の眠りの神ヒュプノスと死の神タナトスの兄弟である。2人は似たような姿勢で横たわっているが、手前の人物には光が当たり、奥の人物は暗い中にいる。このため、手前の人物が「眠り」、奥の人物が「死」を表すと考えられる。「眠り」は手にケシの花を持っているが、これは昏睡状態や夢うつつの状態を象徴するものである。

 

眠りと死が兄弟とは知らなかったな。

似通った存在だという考えが昔からあったのなら、自分が感じたことはもうかなり前から、何人もの人が信じてきたことなのかもしれない。

 

ちなみにこの兄弟のお母さんはニュクスといって夜の女神だそう。

ニュクスが館から飛び立つとヒュプノスもついてまわり、人々には夜が訪れ眠りにつく。

 

タナトスが非情な性格なのに対して、ヒュプノスは穏やかな性格なんだってさ。
人の死もヒュプノスが与える最後の眠りと言われている。
死は絶対的存在かとおもっていたけど、眠りにつくという代替的表現が出来るのなら、必ずしもそうではないのかな。と思ったけど。
突然命を奪うタナトス、優しく眠らせるヒュプノス。迎えに来てもらうなら後者がいいに決まってる。。

 

ウォーターハウスの絵に戻ってみると確かによく見れば奥の彼は目を開けたまま生気のない顔をしている。

右手前にある机の上に置かれているのは楽器かな?2つあるのを見るに一緒に演奏していたのかな。

 

一瞬、2人仲良く並んで微睡んで見えるような風景の中で1人は死を迎えている。

とはいえ、手前の彼も眠りについており、生を全うしているような姿ではない。

彼は眠りから目を覚ましたのだろうか。そして隣にいる兄弟の死を知ったのだろうか。

その可能性を持ち合わせているだけでも、やっぱり死と眠りは似て非なるものなのがよくよくわかる。

 

ウォーターハウスはこのようにギリシャ神話に出てくる神さまの他に、童話や戯曲をモチーフにした作品も多く描いていて、気になる作品が他にもたくさんあった。

いつかは実際にみにいきたいと思うくらい好きになった。(チョロい)

 

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本買おうかな。

 

 

 

 

遠くってどこ?

 

よく「どこか遠くに行きたいな」なんてセリフ、現実逃避したいときに吐いてるの見る。

私も今まさにその状態なのだけど、ふと「遠くってどこだよ」ってノリツッコミ入れてきた自分がいる。

 

なぜ疑問に思ったかといえば、私は生まれ育った故郷が大好きなのだ。

慣れ親しんだ街の慣れ親しんだ空気。

部屋からきこえる新幹線の音。

あそこも、あそこも、あそこも知ってる人の家。

特段コミュニケーションをとっているわけではないけど、圧倒的にホーム。

加えて自分の部屋も大好き。小学1年生から暮らしてきた部屋。何度も模様替えをして今の姿に落ち着いているけれど、最初のベッドを今でも覚えている。(部屋散らかしてたなぁ…)

 

もちろん旅行に行くのも大好き。海外にもここ5年くらいは毎年行ってる。

でもやっぱり自分の家がいちばん心地がいい。

 

となると自分はどこに行きたいの?

家でずっと過ごしてられたらしあわせだよ。

疲れてるとき、逃げたいときに、ここよひ行きたい場所って一体どこ?

 

考えて出た結論。

身体を物理的距離が遠い場所へ移すのではなく、精神を遠くへやりたい。

 

要は何も考えたくないんだ。

電波の届かない場所まで行けば、求めていない人からの連絡も入らない。

誰が何をしているか見たくもないのに見ることもない。

 

となるとね、眠ればいいんだよ。

 

眠ってる間はここから遠くへ精神を解放してあげられるでしょ。

聞きたくない声はきかなくていいし、考えたくないことは考えなくていい。

辛いとき逃げたいとき、自傷しないで寝逃げがいちばんだよね、というお話。

 

おわり。

 

 

 

【The Greatest Showman】アンバランスな傑作

公開日にIMAX2Dで鑑賞。

(IMAX2Dって大好き。DOLBYも好き)

楽曲制作チームは昨年ヒットしたララランドのスタッフときいて期待大。

何よりZac EfronとZENDAYAというディズニーチャンネル育ちの自分にはたまらない共演、、

それはそれは素敵な映画なんだろうな…とわくわくして劇場へ。(思えばこの時点で若干ハードルとやらを上げすぎていたのかもしれない)

 

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見終わったとき、拍手しそうになった(してる人ちらほらいた)

映画を見ていたのをすっかり忘れて、舞台を鑑賞してる気持ちになってた。

ミュージカル映画を見た!というより、ミュージカルを見た!というきもち。

素晴らしい楽曲たちに心奪われた一方で、わだかまりが残ったのも事実。

 

何がもやもやの原因なのか、しばらくの間上手く表現できなかった。

音楽をきけば映像が容易く脳裏に浮かぶ。もう一度観たい!と思うのに、人に感想を聞かれても、すごくよかった!とリコメンド出来ないこの感情は一体なんだ?

とりあえずもう一度観れば何か変わるんじゃないか?と2週間も空けずに二度目の鑑賞。

そこでいろいろ発見もあり、わだかまりが無くなるというよりは腑に落ちた部分が出てきたので、踏まえて整理するためにこれを書く。

  

  • バーナムと他者と私のズレ

 

タイトルにもなっているGreatestなShowmanことバーナムが主人公。

実在の人物がモデルになってはいるけれど、ストーリーに基づく史実はあまり確認出来ない。

貧しい暮らしのなかでも幼い頃から持っていた想像力を失くさないバーナムは、仕立てのお客さんの娘に恋し、文通で一心に愛を育みまして、めでたく結ばれる。

恋人の両親の反対を乗り越えて?押し切って?いざ結婚!あっという間に二児の父!

2人がアパルトマンの屋上で踊るシーン、すごく良い〜〜

 

幸せの渦中かと思いきや会社が倒産。そこからショーマンの人生へ踏み出すわけです。

 

さてショーマンとしてのバーナムの腕前は?

娘たちのアドバイスなどもあり、フリークス(奇形な人)たちを集めれば客が入るんじゃないか?というアイデアが浮かび早速行動。 

 オーディションを経て色々な種類のフリークスが集まりました……

 

まずここで、え?もしや見世物扱い?という、バーナムと私の間にズレが生じる。

でもまだ、彼ら(フリークス)に「必ず愛される」「誰も笑ったりしない」と自信たっぷりに伝えるバーナムは、部下を守る良き経営者にも映る。

ここでひとつ思い出すシーンが、millions dreamのワンシーン。

父親を亡くしたバーナムは更に貧しくなりパンを盗む。すぐに捕まりパンは没収。呆然としているところに、風変わりな老婆が来て林檎を差し出して去っていく…

こういった経験からバーナムにはフリークスに対しての『偏見』が無かったのでは?

「ヒトではなくコトで判断しなさい」なんてセリフも聞いたことある。俗に言う「人は見かけによらない」というやつ。

 

バーナムは、バーナム自身は、フリークスに偏見がなかった。

けれど、自分以外の大多数はフリークスを面白がって見る人たちだということも分かっていた。

フリークスたちを貶めようとしたわけではないけれど、非常にビジネス色が強い関わりの持ち方故、ちょっと抵抗感が出てしまう。

 

  • リンドとの出会いと過ち

 

もうひとつ、バーナムに疑問を持ったのはリンドとの出会いのあと。

欧州で名声を既に得ていたリンドと出会ったバーナム。ぜひアメリカでも公演を…と持ちかける。

ここからバーナムの過ちシーズン到来なわけだが…そもそも、どうしてリンドに声をかけたのか?

 

バーナムはこの時すでにイマジネーション溢れるショーマンとして一定の活躍はしていましたが、フィリップをスカウトしたように上流社会の人間をターゲティングしていた。

それはまたなぜか。

生い立ちへのコンプレックスに感じて仕方ない。

妻であるチャリティの父親には、裕福な家のものではないことで冷ややかな態度をとられ続けていたし、父を亡くし1人で生きてきて、人との関わり合いのなかで満たされない何かがあったのではないか?

娘がバレエの仲間たちに蔑まれるシーンもあったな、あれは反骨心に火つくよ。。

 

妻子がいる、家族がいる今、仕事も順調にいっており幸せに見える一方で、やはり他者に認められることへの執着も垣間見える。

 

リンドも同じような人生を歩んできたのがバーナムとの会話からよくわかる。いくら名声を浴びても満たされない ー Never enough は美しい曲だけど、リンドの満たされていない心を痛感させられる。

 

2人とも表面的に成功や幸せを手に入れたようには見えていたけど、心のどこかに隙間があり、バーナムは上流社会の人間に認められることでそれを埋めようとしていたし、リンドはバーナムという存在で埋めようとしていた。

境遇が似ていると言葉にせずとも惹かれあうところがあるのは分からなくもないから、一概にリンドの行いをジャッジ出来ないな…

 

  • 帰る場所がホーム、そこにいるのがファミリー

 

最後に残った疑問はバーナムとフリークスの関係。

バーナムはリンドの初公演時に彼らを目立たないよう立ち見席に通すけど、この時はかなりもうリンド(の公演)にのめりこんでいるのが分かる。完全にフリークスたち<リンド(自身の成功)。

そしてパーティー会場にも入れず完全にシャットアウト。ここからのThis is meはもう最高なんだけどさ……まさか、主人公に追い出されてこのシーンに繋がるとおもわないじゃん…

初見のときはこの事態に大変戸惑いバーナムに憤りも生まれ始めたんだけど、いざThis is me始まるともうそれどころじゃない。感動の渦で思考停止。少数派で生きてきた身としてはもう彼らの気持ち、あの曲でこれでもかと伝わってきて涙腺崩壊。シンプルなタイトルだけど全てが伝わるよね。英語のそういうところかっこよくてずるいな〜とよくおもう。

 

このあともリンドの公演しか頭にないバーナム。フリークスたちも自分たちを見ていないのにはとっくに気付いていてフィリップに苦言。

このあとも彼らに寄り添う様子あまり伺えないんだけど、火事のシーンで信頼を取り戻したと考えるしかないのかな。(個人的には足りないけど)

 

From Now On前のバーでのシーンの会話から読み取るに、サーカスという場は彼らにとってホームで、そこで出会ったみんながファミリーということになる。

そのどちらもバーナムがいなかったら生まれなかったのだから、感謝の気持ちはゼロにはならないよな〜。

「最初はお金儲けのためだったかもしれないけど…」ってセリフあったけど、最初だけじゃなくない…?と思った。

バーナムも資金の心配しかしてないし。みんな残ってくれてありがとうくらい言ってもええんとちゃう!?

まあいいんです。ホームとファミリーを創り出したのはバーナムなので。それは抜かりない事実。

 

  • 彼はGreatestだったのか?

 

ここまで色々な疑問があり、それに対しての考え方を述べてきたが、最終的に巡り巡ってこの疑問にぶち当たる。

 

彼がGreatestなのはやはりビジネスにおいてだよね。独創的なイマジネーションだけでなく、フリークスたちやフィリップを雇ったとこから見るにスカウティングの能力が高い。新たな趣向のサーカスも、欧州で人気の歌手を起用するのも、興行的に成功していたわけだからShowmanとしてはGreatestで間違いないのかもしれない。

私がこの映画を見終わったあとに感じたわだかまりは、人としてのGreatestを求めすぎてたからなのかなぁと。

GreatestなShowmanであってGreatestなmanではないのだから。

 

 

最後にね。ほぼ触れていないフィリップとアンもといザックとゼンデイヤだけどね。言葉には出来ないよ。2人がこの役を演じてくれて本当に嬉しい。この映画を観れて幸せだなとおもう理由のひとつ。

 

 

 

おやすみなさい

 

アウトプットしたい内容ではないけど

気持ちの整理のために書く。

 

 

彼が亡くなった。

心底陶酔していたわけではないけど、一時的とはいえ好きだったし憧れてもいた。と思う。

彼がいなくなってしまったことはとても悲しい反面、納得の感情ばかりが溢れて、戸惑っている。なので気持ちを整理したい。

 

まとまらないけど考えを書く。

 

『悲しむ人がいるよ』

もうここではいきていられないと思ったとき、遺された人たちのことが頭をよぎる。

そこで踏みとどまる人がいれば、それでも決行に移す人もいる。

私はというとすごく嫌な気持ちだった。

だっていなくなりたいと思うくらい辛く悩んで苦しんでいるのに、どうして遺された人たちの悲しみまで背負わなければならないんだろう。

あなたがしんだら、わたしはかなしい、だからしなないで。

それはあなたの自己満足のためにいきていろ、ということでしょうか、

 

『ほかにもっと辛い人だっている』

だから、頑張れ、逃げるな、甘えるな。

辛さ比べをするのが人生ですか?

あなたはもっと辛いのですね。わたしも辛いです。申し訳ないですがわたしはもう頑張れません。としか思えません。。

 

『なんでもいいから生きて、死んだら全部終わり』

“なんでもいい”

そんな風に投げ出すことが出来ないからここまで追いつめてしまったんです。

しんだら全部終わり。全部終わりにしたいから選ぶんです。

先のことを考えずにただ息だけをしている。そんなこと出来る性分じゃないんです。

 

 

我ながらすごくかわいくない考えだな。

上記のような言葉の裏には相手をおもう気持ちがあるのはわかっています。

その部分を細かく丁寧に伝えないと、わからないし伝わらないとおもう。

でも、伝えたところで選択が変わるとも限らない。

 

要は、しを選ぶとき、それはもう選ぶべくして選んだということ。

ここまで陥るともう誰の言葉も入ってこない。

黒い犬は内側から飼い主をたべてしまう。

 

助けられなくてごめんなさい。

気づいてあげられなくてごめんなさい。

そう言う人もいる。

 

正直に、その通りだと思う。

助けられなかったのは救えるほどの力があなたになかったからか、あなたに助けてほしい、救ってほしいと考えられなかった自分、"あなたに助けてもらう"という選択肢を選ばなかった自分のせいです。

 

手遅れという言葉があるとおり、どうにもならない状況がある、というのを理解してほしい。

 

 

たくさんの人に愛されながら彼は、いってしまった。

その愛もまた重くのしかかっていたものかもしれない。

今はとにかく、誰もいない遠く、ずっとずっと遠く静かなところにいってほしい。

緑が豊かなあたたかいところで目覚めないくらい深く昼寝をしていてほしい。

これもまた私の自己満足なのですね。

 

 

こんなにたくさんの人に愛されていたんだよ。あなたの歌声、パフォーマンスに救われた人がこんなにいるんだよ。

帰りを待っている人たちがいるんだよ。

なんて、絶対に言えない。言わない。

悲しむのも愛するのも想うのも、全て当事者の自己満足なんだ。

彼が望んでいることなのか誰にもわからないし、彼にしか決められない。

 

 

誰しも辛いのは嫌だ。楽になりたい。

 

楽になる方法はいくつもある、

その中から選ぶのは自分自身。

 

最後まで自分といるのは自分だけ。

 

 

 

 

 

 

【ムーンライト】静寂の中から生まれる痛みと優しさ、強く自分を取り戻す


(抽象的かつ直接的なネタバレがちょこちょこ有ります。)

 

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仕事帰りにレイトショーで見てきました。

この映画は、『夜』に、『一人』で見ると決めていた。

最近、『誰かと見たい映画』『一人で見たい映画』の線引きが自分の中ではっきりしてきた気がする。

見る前から決めることは正解とは思わないけどね。

 

あらすじ─

 

シャロン(アレックス・ヒバート)は、学校では“リトル”というあだ名でいじめられている内気な性格の男の子。ある日、いつものようにいじめっ子たちに追いかけられ廃墟まで追い詰められると、それを見ていたフアン(マハーシャラ・アリ)に助けられる。フアンは、何も話をしてくれないシャロンを恋人のテレサ(ジャネール・モネイ)の元に連れて帰る。その後も何かとシャロンを気にかけるようになり、シャロンもフアンに心を開いていく。ある日、海で泳ぎ方を教えてもらいながら、フアンから「自分の道は自分で決めろよ。周りに決めさせるな」と生き方を教わり、彼を父親代わりのように感じはじめる。家に帰っても行き場のないシャロンにとって、フアンと、男友達ケヴィンだけが、心許せる唯一の“友達”だった。

映画『ムーンライト』公式サイト

 

実は、あらすじに目を通したのは1度きりで、予告動画も見ていなかった。

劇場で知ることが全てで、そうであってほしいと願っていたから。

 

あらゆる事柄はマジョリティとマイノリティに別れていて、それは、あくまで『別々』だというだけで、善悪とか是非を判断する材料ではないと思う。

 

主人公のシャロンは、マイノリティを複数抱えていた。

母子家庭、いじめ、麻薬、貧困、肌の色、そして惹かれた相手は親友のケヴィン。

麻薬に溺れる母親から暴言を吐かれ、

学校ではいじめにあい、

父親のように接してくれていたフアンは麻薬の売人だった。

 

この映画は三部構成で、

PartⅠ  リトル

PartⅡ  シャロン

PartⅢ  ブラック

から成る。


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パートとパートの間はかなり年数が経過していて、その経過した時間の中でもかなり大きな出来事がいくつも起きている。

それに対して、詳しい説明は特にない。

どうして?がたくさん生まれるけど、それを自力で紐解いていくことも、この映画の一部なんだと思う。

 

先述した複数のマイノリティについて、パート1ですべてが描写されている。

リトル時代にこれほどの出来事を迎えた彼の自我は非常に脆くて、形成されるのに長い時間が必要だった。 

正直、こんなに辛いなら自分の手でそれを終えてしまわないか、シャロンのパート辺りからそわそわした。 

 

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それでも彼は生きた。

自分を、弱さも丸ごと受け入れて、誰かを代わりに傷つけることもなく、静かに強く生き続けた。

リトルパートでフアンがシャロンに語る話が、タイトルのムーンライトに基づいているんだけど、その後の台詞が映画の根幹だと思っている。


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それからもう1つ、何度も何度もシャロンが劇中で繰り返す印象深い台詞がある。

 

───────「何も知らないくせに」

 

これは、自分もマイノリティとして生きてきた中で、何度も何度も呟いたことがある。心の中でね。誰かに面と向かって言ったことはないなぁ。人を傷つけるのが怖いんだよね。

 
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シャロンは時には悪態をつきながら、時には涙を流しながら、この台詞を全パートで吐いた。

ありがちかもしれないけど、もうこの言葉以外では表せない。

 

 

例えば何か辛い出来事が1つ、起きたとする。

そこで生まれる感情は1つではないし、過去の出来事にも自分のアイデンティティにも、いくつも複雑に絡み合って、言葉では表せないものに身体が支配される。

でも、他人からしたら、『今目の前で起きたその出来事1つだけ』からしか、当人の気持ちは汲めない。

今目の前で起きたこと、目で見たこと、耳できいたこと、それしか知らないのに、辛かったね、苦しかったね、と声をかける。

 

ほぼほぼ、他人の気持ちを知り得ることなんて無理に等しい。

どれだけ寄り添っても、その人が生まれてからこれまで、見てきた景色、投げられてきた言葉、きいてきた音、出会ってきた人別れてきた人、全てを知らないと出会えない知り得ない感情が必ずある。

 

それを知った。受け止めた。

その事実と向き合えば自ずとわかる。

誰しもが、自分のことは自分にしか決められない。

 

もうシャロンは自分に嘘をつかなかった。

自分の道を、決断を、誰に委ねることもなく、強く自分を取り戻した。

母親と向き合い、ケヴィンと向き合い、確かに自分の人生を自分のものにした。

フアンとテレサの揺るぎない愛情も大きな力だったと思う。


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痛みを伴いながらも静かに強く生きる姿はとても美しかった。

ブラックパートで逞しくなったシャロンに、

リトルパートでのケヴィンの台詞が呼応する。

「ほら、お前はやっぱりタフだ」


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つらつら書いたけど、触れてないことがあった。

映像と音楽がすごく綺麗です。

残酷なシーンでもその美しさに惹かれます。

劇場のど真ん中で見るのがおすすめ。


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フアンとの海でのシーンがお気に入りです。

 

シャロンとケヴィンの関係については、素敵だなと思いました。

つらつら書くのはなんだか勿体ないからそれだけ。

恋愛ってなんなんだろうね。人と人とが時間をかけて繋がっていくことなのかな。

フアンと恋人のテレサの関係もすごく素敵でした。

 

あ、セクシャルマイノリティ要素のシーンについて、あまり言及していないけど、まあこの作品の中ではセクシャルだけがマイノリティじゃないからね。

 

ケヴィンが女の子と親しく(親しいどころじゃないけど)してるのを聞くシーンでのシャロンの複雑な気持ちわかるー!せつねー!とか、ありきたりだから書かないよ。

 

しいて挙げるなら、リトルパートでシャロンがフアンとテレサに、「オカマってなあに?」って聞くシーンは涙が出た。

二人のような答えを返してくれる大人、自分が幼かった頃には出会えなかったな。

 

こういうタフな映画を見ると、自分甘ったれてんなもっとしゃきっとしろよって思ってしまう癖が抜けないんだけど。

あくまで前向きに、自分も自分を取り戻していきたい。

シャロンより時間がかかりそうだけどいつかは必ず。

 

ラストシーンはこれまでにないスタイリッシュさで、格好よかった。

シャロンのこれからには静かな幸せが待っていると信じたい。

 

 

 

【LA LA LAND】夢を叶える、ただそれだけ

観賞後に感じた最初の感情は『辛い』。

この言い難い辛さを誰かも感じていないかと思って、珍しくすぐに感想をぐぐってしまいました。

 

Another Day of Sunを歌うハイウェイのシーンは公開前からよく流れてきていたのを見ていたけど、まさかあれで始まると思ってなかったので驚きました。

L.A.には2度行ったことがあるけど、あのどこまでも広がる大地の中にどこまでも続くハイウェイを思い出してすごく懐かしくなった。

L.A.は本当に大好きな場所。特別な時間を過ごしました。

 

映画本編は本当に予想していないラストで、終わったときは少し脳の処理追い付いてなかった。

そこからじわじわ、ゆっくり、液体が浸透していくようなスピードで感情が起き上がってくる。

 

この映画のストーリーは"夢を叶える"。それに尽きる。

思い描く夢、叶えたい夢は人それぞれで、その先に待つ幸せの形も人それぞれ。

二人はそれぞれの夢を叶えた、それは歴とした事実。

それでも、セブが最後に思い描いたあのフラッシュバックが、現実だったら良かったのにと思ってしまうのはきっと自分の心がまだ幼い証拠だなぁと思う。

 

ミアのことを少し。

オーディションを受けては落ち、ようやく一次試験を通過したと喜んだ矢先、二次では相手にもされず嘆く。コネクションが必要だと同居している友人が言う。招待状はあると歌う。

会場に行って、繋がりを持とうとするミア。ここでもなかなか上手くいかない。

 

セブは、レストランでBGMを演奏する。クリスマスの夜。支配人の言うことを聞きながらも、自分の求める音楽の表現に指が走る。

我に帰るも支配人からクビを宣告され、声をかけるミアのことも無視して店を出る。

 

セブとセブの姉との会話から察するに、セブは自分の音楽-ジャズ-を突き詰めて、恋愛は後回しにしているようだった。一方では、音楽のこととなると店への執着もすごい。家でもピアノを弾くシーンが何度も出てくる。

 

ミアはどうだろう。セブに脚本を勧められた後は自宅やカフェで仕事をするシーンが出てくるが、それまでは、車の中で受けるオーディションの台本を読むシーンがあったくらい。

セブと違って恋人もいる。それでも、フランスに住む叔母とのエピソードや、実家の自室が映るシーンから、女優に憧れ続けているのは紛れもない事実。

 

夢に対して熱量に差があるわけではない。

 

セブは、店を開くため、そしてミアを安心させるため、バンドに加わった。

ミアは、一人舞台が失敗したとき、これ以上辱しめは受けられない、と泣きながら実家に帰った。

 

二人の違いが一番、如実に出ているのはここだと、個人としては思う。

 

セブは夢を叶えるための才能を、その知識、努力、時には自己犠牲で補った。 

ミアは、才能を持っていた。補う必要もないくらいの才能を。

 

有名ディレクターに目をつけられる、それだけが、彼女が夢を叶えるために欠けていたこと。

才能があったから、一人舞台の演技を評価されオーディションに呼ばれたし、才能があったから、アドリブの演技を認められた。

 

二人はラストで結ばれなかったけど、お互いの人生において二人の出会いはかけがえのないものだった。

セブと出会って、彼がすすめていなかったら、ミアは脚本を書かなかったかもしれない。一人舞台もせず、オーディションだけを受け続けて、落ち続けて、実家に帰っていたかもしれない。

ミアと出会って、ミアと彼女の親との会話を聞いていなかったら、安定を求めてバンドに参加していなかったかもしれない。

預金は増えず店を持てなかったかもしれない。

彼女が考えてくれた店の名前も、あのネオンの看板も、生まれないまま終わっていたかもしれない。

 

夢を叶えるために必要な出会いだった、例えそれが結ばれなくても。

 

セブが最後、ピアノから顔をあげて、ミアに向けて笑顔を見せてくれたこと。

すべてが集結した表情で、救われました。

 

 

幼い頃、夢を問われると色々な答えをしてた。私の答えの9割はスーパーヒーローになりたい、だったけど。

テレビで見たのか実際に誰か言っていたのか覚えていないけど、「お嫁さんになりたい」という答えがあったな。幼心に違和感MAXだった。

お嫁さんになる=誰かと結婚する、誰かって誰だよ?

 

不特定多数でも、そうでなくても、"誰か"がいないと成り立ち続けない夢は夢ではないのかな、と今回思った。

自分の夢は自分だけのものだ。それを叶えられたらどれだけ豊かな時間を過ごせるだろうなぁ。