おやすみなさい
アウトプットしたい内容ではないけど
気持ちの整理のために書く。
彼が亡くなった。
心底陶酔していたわけではないけど、一時的とはいえ好きだったし憧れてもいた。と思う。
彼がいなくなってしまったことはとても悲しい反面、納得の感情ばかりが溢れて、戸惑っている。なので気持ちを整理したい。
まとまらないけど考えを書く。
『悲しむ人がいるよ』
もうここではいきていられないと思ったとき、遺された人たちのことが頭をよぎる。
そこで踏みとどまる人がいれば、それでも決行に移す人もいる。
私はというとすごく嫌な気持ちだった。
だっていなくなりたいと思うくらい辛く悩んで苦しんでいるのに、どうして遺された人たちの悲しみまで背負わなければならないんだろう。
あなたがしんだら、わたしはかなしい、だからしなないで。
それはあなたの自己満足のためにいきていろ、ということでしょうか、
『ほかにもっと辛い人だっている』
だから、頑張れ、逃げるな、甘えるな。
辛さ比べをするのが人生ですか?
あなたはもっと辛いのですね。わたしも辛いです。申し訳ないですがわたしはもう頑張れません。としか思えません。。
『なんでもいいから生きて、死んだら全部終わり』
“なんでもいい”
そんな風に投げ出すことが出来ないからここまで追いつめてしまったんです。
しんだら全部終わり。全部終わりにしたいから選ぶんです。
先のことを考えずにただ息だけをしている。そんなこと出来る性分じゃないんです。
我ながらすごくかわいくない考えだな。
上記のような言葉の裏には相手をおもう気持ちがあるのはわかっています。
その部分を細かく丁寧に伝えないと、わからないし伝わらないとおもう。
でも、伝えたところで選択が変わるとも限らない。
要は、しを選ぶとき、それはもう選ぶべくして選んだということ。
ここまで陥るともう誰の言葉も入ってこない。
黒い犬は内側から飼い主をたべてしまう。
助けられなくてごめんなさい。
気づいてあげられなくてごめんなさい。
そう言う人もいる。
正直に、その通りだと思う。
助けられなかったのは救えるほどの力があなたになかったからか、あなたに助けてほしい、救ってほしいと考えられなかった自分、"あなたに助けてもらう"という選択肢を選ばなかった自分のせいです。
手遅れという言葉があるとおり、どうにもならない状況がある、というのを理解してほしい。
たくさんの人に愛されながら彼は、いってしまった。
その愛もまた重くのしかかっていたものかもしれない。
今はとにかく、誰もいない遠く、ずっとずっと遠く静かなところにいってほしい。
緑が豊かなあたたかいところで目覚めないくらい深く昼寝をしていてほしい。
これもまた私の自己満足なのですね。
こんなにたくさんの人に愛されていたんだよ。あなたの歌声、パフォーマンスに救われた人がこんなにいるんだよ。
帰りを待っている人たちがいるんだよ。
なんて、絶対に言えない。言わない。
悲しむのも愛するのも想うのも、全て当事者の自己満足なんだ。
彼が望んでいることなのか誰にもわからないし、彼にしか決められない。
誰しも辛いのは嫌だ。楽になりたい。
楽になる方法はいくつもある、
その中から選ぶのは自分自身。
最後まで自分といるのは自分だけ。