Remember me

映画を見たり写真を撮ったりするAジェンダーの生存証拠

Aジェンダーのゆく先

 

ジェンダークリニックに通い始めて早一年。

カウンセリングは一通り終わり、先日産婦人科で外性器検査をした。

これはもうトラウマ待ったなし!の経験だったけど日にちが浅いのでちょっとまだアウトプットは出来ない…💭

 

自分でも自分のことが複雑なので、ちょくちょく自分がジェンクリに通い始めた理由とか、この先のこととか、あれ?なんでだっけ?って思う時があるので、アウトプットしておこうかなと思って書きます。

 

そもそも。私はどういった治療を施してどういった身体になり、社会でどのように生きていきたいのか。これが明確になっていたら色々とテンポのよい人生であろうが、一筋縄ではいかない。

 

まず、性的指向性自認を切り離して考えられるようになったのは高校を卒業するあたりで、そこから性自認を模索する日々が本格的にスタートしたわけですね。(性的指向に関しては物心ついたとき、3歳くらいからマジョリティじゃないことは確信していた)

高校生活の中には多様な価値観がぷかぷか浮かんでいる空間で過ごしていて、理解者も性的少数派の当事者もいました。多かったのはトランスジェンダーかなぁ。この頃の自分はそれこそLとGとBとTしか知らなかったので、「四択でいったらLかTなんだろうがどちらもしっくりきません」といった様子。

Tの同級生や先輩が何人もいて実際治療している人もいた、久しぶりに会ったら声変わってたり。

 

大学に進むと、"自分探し"の旅にまでは出なくても、私とは?という自問に対して?が20個くらい増えた。自発的に色々調べていく中で、"中性"の概念を知る。「これのほうがしっくりくる気がするなぁ」と思う。それでも先に道は無いし、自分より知識を持つ人もポジションが近い知り合いもいない。

立ち止まって考えている私の横を高校の同級生(FTM)がものすごいスピードで駆け抜けっていった。

「男になる覚悟とか勇気がないから逃げてるでしょ」と言われた、忘れらんないなぁ。

確かに彼はオペも戸籍変更も氏名の変更も、目処が立っている様子だった。進む道がもうはっきり見えているようだった。

彼を追いかける気はなかった、去っていく背中を見つめることもなく、自分の足元だけ見てぐるぐると思考を巡らせていた。

 

「私は勇気がないだけなのか?逃げているだけ?本当に?」

 

就活中、ひとつ根拠のない確信が自分の中に芽生えて心を離さなかった。

社会に出て行くこのタイミングで、クローゼットとして生きていくのか、オープンにして生きていくのか、二択から一つを必ず選ばなければいけない。選ばなければいけない時がきた。今まさにそうなんだ。

振り返ってみれば自分の性格を分かっている上で、追い込まないと一生はっきりしないのではと不安に思ってたんだろうな。ビビりな割にもやもやしているのがたいそう嫌いなんです。あまのじゃくだよね〜

 

とはいってもオープンに生きていくって言ったって、まだ人に説明出来る状況じゃない。

ただ、人に説明しようとして初めて自分でもわかっていない自分自身のことが見えてきた。無意識に被っていた殻がぽろぽろこぼれ落ちた。「実はこれ嫌なんだ」「こう思われてるけど違うんだよね」とか。

性別と特徴や嗜好を結び付けて考えるのをやめた。自分だけじゃなく他人に対してもそう。これを好きだと言ったら女の子らしいと思われるかな、とか男の子らしいと思われるかな、とかそういう勘繰りもやめた。他人の評価は自分を定めないということに気がついた。

 

長いから一旦おしまい🐧